タイトルに書いている通り、我が家は児童クラブを今年度で辞めさせることにしました。
メガロです。
今回の記事はすこしネガティブな話です。
本記事の前提として、メガロの個人的な経験談を綴ります。
内容に嘘偽りはありません。
ですが、あくまでも日本中にたくさんある児童クラブのうちの1つの話です。
児童クラブの保育に期待をしている方には向かないコンテンツとなっている可能性があります。
その点をご了承いただいて、読み進めてもらえるとありがたいです。

結論から言うと、
共働きの状況下ですが、息子のすこやかな成長のために児童クラブを小学一年生で辞めさせるという決断をしました。
もちろん、息子と相談して、息子と児童クラブを辞めることについて合意した上での決断です。
非常に残念なお話ですが、児童クラブの先生はほとんどの場合で否定的な話しかしてきませんでした。
具体的に書いていきます。
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否定しかしてこない

平日は基本的には定時(17時30分頃)にボクの方の仕事が終わるため、ボクがお迎えにいっています。
お迎えの際、息子と先生(と言ってもいいのか?)が付き添いでついてきて、ほぼ毎回ダメだしされます。
今日は〇〇くん←息子の名前です
- お片付けが出来ませんでした
- 宿題をなかなかやりませんでした
- お掃除しませんでした
などなど。。。
毎回こんな感じです。
こちらも息子を見ていただいているという立場上、なんとなく謝る感じになってしまいます。
最初のうちは、こちらも『うちの息子がすみません。。。』って感じで恐縮していたのですが、いつまで経っても、、それこそ半年くらい経過しても否定的な内容ばかり言われました。
そりゃまだまだ小学1年生ですし、言うこと聞かないときもあるし、宿題しないときもあると思います。
ですが、できない部分を強調することで何が得られるのだろう?とだんだん疑問を感じだしたので、
一度、ボクが『小学1年生だし、そんなもんじゃないですか?』と伝えたところ、
顔を真っ赤にして、高圧的に『いや、できるはずです!』との回答。
『あぁ。。なるほど。。これはダメだ。。』と心の中で思いました。
理解できないほど上から目線で接してくる

多分、あれですね。
有名な実験で、集まった人を無作為に『看守役』と『囚人役』にわけて、刑務所の中の関係性を再現して様子を観察してみると、
その環境下で過ごしていくうちに、『看守役』の人が自分の立場が上であると勘違いして、『囚人役』に対して横柄な態度や言動をするようになってしまう。
というものがありますが、これと同じで児童クラブでこどもたちから『先生、先生』と呼ばれ続けるうちに自分が偉くなったように勘違いするのでは?と思います。
こどもの個性を認めない=そこに愛はある?

保育園時代と比べるのもどうかと思いますが、保育園の先生方はこどもたちの個性を理解しようと努めて、尊重してくれていたように感じます。
一方で、児童クラブは『個性は悪!』、『みんな右を倣え!』といった感じです。いうこと聞かない子は排除するような印象です。
もちろん、小学生なので規律ある生活態度が求められるのは理解しています。ただ、それにしても。。。といった感じです。
ボクの中では、『そこに愛が無いんだろうな』という結論に落ち着きました。
おわりに
悪口を並べ立てたように感じさせてしまったなら申し訳ないです。
共働きパパママがたくさんいる現代において、児童クラブ(学童保育)は必要不可欠な存在ということは百も承知です。
実際、我が家も大変お世話になりました。
ですが、児童クラブによっては子どもの個性を押し潰すような、非常に旧世代的な押しつけ教育がなされているという現実を身をもって知りました。
あくまでも主役は子供たちなので、すべての児童クラブが息子が通ったところのようではないことを心の底から願っています。
同じような経験をされた方に共感してもらえたら嬉しいですし、これから利用を考えている方にはある一例として参考にしてもらえたら、幸いです。

ちなみに児童クラブって、海には無いぜ。
それではまた。
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